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それでも地球は植物のもの。 [雑感]

前にも書いたかもしれないけど。

僕は
「地球は植物の星」だと思ってる。
もっと言うと
「植物に支配された星」だと。

地球の最後は「太陽」が大爆発して
それに飲まれてしまうのであるから、それまでは。だが。

唐突に何を。

しかし、米や 麦は 完全に人間のコントロール下に
置かれているようでも
我々の食料として
大切に管理する傍ら
「彼ら」植物はその「種」の保存、存続を
人間に命じているのと同じことになるのではないか?。

人間は余計なことに「遺伝子操作」などを開始したけれど
それだってもしかしたら彼らの「想定内」なのかもしれない。


大きな木の童話もだ。

これは物言わぬ大きな木が
実も 枝も 最後には幹さえ 欲しい人間に与える。
というお話しなのだが、

植物は何一つ不平も不満も言わないが
逃げ出すことも、抵抗もせず「淡々と」切られても
なんでもない。本の言葉を借りれば
「それでも木は幸せだった」だ。
(お話の趣旨とは違うかもしれないけど)

これとて結局、敗北するのは人間なのではないか?

人間が食料として栽培している植物は
「食べられるために育てられる」のであるが
その実、我々人間に「管理」を強要しているのではないのか??

と思ったのである。

それだけではない。
人間の身体に 大腸菌などを住まわせ、それに食料として自分の種子をあたえ
排泄物や二酸化炭素の濃度が増加する傾向を作る。

これは植物にとってどうなのか?


彼らの持っている時間軸と
我々の時間軸の概念の違いだけで
支配し、支配される立場は逆転するのではないか??

よくわからないけど。

最近思う。
私の家の庭は
私の祖母が基本的に造った。

春の花 夏の花 秋の花と そして実り
冬にも椿と山茶花が花咲く庭を造っていた。
(ツバキ類は毛虫が付くので今は皆無だけど)
四季折々の花が楽しめるよう
十分考えられていた。

が、これだって植物の大きな意思に絡めとられていたのかも???

私か誰かが 全てを伐採し捨て去れば
それでこの庭のそれぞれ「個体」の生命は終わる。

が、それは植物全体の敗北ではない。

地球上から植物が絶滅したら人間は生きられないが
人間が絶滅しても植物は活きられる。
必要な「動物」を彼らのほうでコントロールすればよいだけだから、、、、。


昨日のあすなろの木の話で
こんなことを考えてしまいました。。

うーむ。




おおきな木

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  • 作者: シェル・シルヴァスタイン
  • 出版社/メーカー: あすなろ書房
  • 発売日: 2010/09/02
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タグ:大きな木
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